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2009年08月20日

戦時中の仙台

こんにちは、七夕君です。
終戦記念日が過ぎたということで、今日は戦争と仙台の関係について、
ちょっと調べてみました。

1887年に現在の東北本線が塩竈まで通じ、仙台駅が置かれると、
仙台には、明治政府による東北地方支配の拠点とされて、公的機関が次々と建っていきました。
また、明治時代以降、高等教育機関がどんどん設置されていき、1907年東北帝国大学が始まりました。
軍事施設も、旧伊達藩の要害を利用して、陸軍第二師団司令部や
歩兵第三旅団司令部、工兵第二連隊司令部、歩兵第四連隊司令部が置かれたのをはじめ、
様々な近代的軍事施設が設置されました。

以上のように仙台は、公的機関や軍事施設、教育機関が置かれ、多数の人が集まるようになり、
工業以外の業種が集まる大消費圏となりました。

その後の太平洋戦争では、仙台には特に陸軍の軍事施設が多数所在していたため、
度々空襲に見舞われていました。最大の被害をもたらしたのは、終戦の1945年7月の
戦略爆撃(仙台空襲)です。B29爆撃機からの焼夷弾絨毯爆撃により、
市内中心部、市電環状線内が炎上・焼失し、死者が1066人、仙台は廃墟となりました。



終戦後、GHQが仙台に進駐し、軍事施設の跡地は主に公園になりました。
また、今日の近代都市としての基盤が作られました。
また、杜の都のシンボルである多数の樹木が植えられたのも、この時期です。

杜の都仙台は、かつて廃墟でした。
現在はすごく綺麗な街並みですが、終戦を祈念して、そんなことを考えてみるのもいいかもしれません。


R-
プラニング

ゲール
シャム
久坂
構造
スプラウト
床擦れ
スタジアム
  


Posted by galsone at 10:17日記